公開: 2022年11月12日
更新: 2022年11月24日
江戸時代に入ってアイヌとの独占的な交易の権利を得た松前藩は、藩士への俸禄に代えて、特定なアイヌ人との交易権を認めた「商場知行制(あきないばちぎょうせい)」を定めました。この制度によって、アイヌの人々は、特定の松前藩士の言い値でしか特産物を売ることができなくなったため、アイヌの人々の間に不満が高まっていました。さらにキリシタン禁教令を逃れて、北海道へ本州から数多くの移民が、砂金の収集に押し寄せていました。
そのような状況下で、1669年、アイヌ部族の族長であったシャクシャインなどをリーダーとして、5つのアイヌ人グループが武装蜂起し、松前藩の和人と戦い始めました。弓と鉄砲で武装したアイヌ人戦士と戦う松前藩の兵は、鉄砲が少なく、苦戦を強いられました。幕府は、松前藩を助けるために、弘前藩の軍を送り込み、アイヌ軍の鎮圧に努めました。戦いは、1670年まで続きましたが、和議を理由にシャクシャインを呼び出し、シャクシャインをだまし討ちにしたため、アイヌ軍は降伏し、松前藩の示した条件に従うことを約束しました。